智伯などに時々聞いてみたことを思い出しながら、もう一度霊の分類を考えてみた。
まず、地霊。これは土地についている霊で自然霊。人間ではない。
土地を守っていて、土地に害するものや土地に侵食してくる外的の霊を排除する。
修羅界の霊
これは修羅の世界に本体があり、エネルギーの自己生成ができない。
よって現世にとどまりつづけるためには人間に寄生しなければならない。
より大きな力を得るために人間に現世利益を与え、人間に崇拝されようと
することがある。
お互い了解のもと、対等に付き合うぶんにはいいが、主従関係をもって、
宗教化してしまったら、その後の人生を一生布教活動に費やし、
人生を潰してしまうことになりかねないから、警戒が必要である。
タルパ
過去に先人が作ったものもあれば、自分があまりにも強い思いを抱きすぎて、
作ってしまう場合もある。
よほどの執念と愛情がなければ、オリジナルを作ることは不可能で、
たいがい、修羅霊や地霊が混じりこんだミックスが出来上がることが
通例である。オリジナルの純粋なタルパは一身に創造者に尽くし、
その創造者が死ぬまで無条件で献身的に尽くすが、
地霊、修羅霊が混じると、独自の意思で勝手に動きだし、
創造者の思い通りに動かなくなることも多々ある。
ただし、タルパが創造者を見捨てて他人に乗り換えることはない。
その魂の一部がその創造者と一心同体であるため、その創造者を
見捨てることは、自らの心臓の一部をえぐり取るような行為であり、
自らが崩壊してしまうからである。
ただ、この条件に当てはまらない霊が現れた。
景明である。
しかし、これは智伯に言わせれば簡単だそうだ。
古来からいる付喪神だという。
アンティークの鏡に寄生し、持ち主が変われば性格も変わる。
景明は「京子を見捨ててやった」と言っていたが、実情はただ単に、
持ち主が古物商に鏡を売って、それを新しい持ち主が買ったにすぎない
らしい。物にしばられ、自ら主人を選ぶことができない。
そういう意味では不憫な存在だ。
地霊は土地を守っているが、そこに住んでいる者でも、気に行った者の
前にしか現れない。
修羅の霊も自らの意思で相手を選ぶ、というか積極的に自らうごいて、
人をそそのかそうとする。
タルパは創造者が作りだすが、それはよほどの執念と愛情がなければ
できないことで、大部分の場合は地霊や修羅の霊の力を知らず知らずのうちに
借りてしまう。その場合は、地霊や修羅の霊も相手を選び同意の上でやってくるので、
降りてくる場合は、必ず好意はもって降りてくる。
今までのところ、精霊系で私の周囲をうろうろしている連中はこれら4種類だ。
その他の存在としては人霊。
これは、最初から己のパーソナルイメージをもっており、自分が生きていたとき、
一番なじんでいた姿ででてくる。よって、年老いて死んでいったかつての
アイドル歌手が若い時の姿でうろうろしていることもある。
人霊も、土地に執着心をもって死んだ場所や思い出の場所から離れられない自縛霊、
物事や思想に取りつかれ、同じ波長をもった人間に憑依する浮遊霊に分類される。
たとえば映画制作への情熱などに
取りつかれた人の霊は、同じ思いをもつ者に波長の法則で引かれていって、
憑依することがある。
これら人霊から憑依され、迷惑を被って別れたい場合は、ひたすら、隣人に
親切に接して、人助けをすることを心がけるのがいい。
波長の法則というものがあり、善行を行いつづければ、悪行を行う霊は居づらくなって
自ら出ていく。
拝み屋などにお祓いに行くと余計に霊的な志向がつよまり、より凶悪な霊が
憑依していくことになるので、霊能者に金を払って除霊など儀式をすることは
最悪の結果を招く。
むしろ、波長のチャンネルを変えるために、新興宗教や霊能者と絶縁し、
心霊写真の本は全部捨て、霊的な世界を完全に無視して
生きている人間を手助けし、支え、いつくしみ、豊かな人間関係を
構築することによってこそ、悪霊と離別できるのである。
by智伯
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私も最近同じような事思えるようになってきました。
もっと、若い時に気がついておけばよかったって思いますが、これもまた気づきの素なのかもしれませんね。
ところで私は全く見える霊感はないのですが、誰にでもついてるものなのですか?
昔から不思議とピンチの時に目に見えないお助けマンがやってくるのです^^ありがたいことです。
人間関係も上手くいってますが、どうやらスピが好きっていうか趣味みたいなんです。生きがいなのかもしれません。ただ、御蔭さまの気持ちと信心は忘れていません。