草木の精霊の中で、人間に一番近しいのは花の精霊だそうだ。
人間は野原に咲いている花を拾ってきて家に植え、お水をやって肥料をやる。
花が枯れると悲しむ。
無償の愛で尽くしてくれる。だから花は人間を信頼しているらしい。
そういえば野菜に精霊はいるんだろうか。とんと聞かない。
すぐに食べられてしまうので、諦めの境地なんだろうか。
慶ちゃんに言わせると、野菜と人間は共生関係なんだそうだ。
野菜は人間に良ベられて喜んでいるらしい。
なぜなら、人間は野菜を食べるために、種を残して野菜を育て続ける。
なぜ、野菜が人間に食べられることろ望んでいるかというと、それは
「あく」だそうだ。
ほうれん草などにはかなりいつい「あく」がある。だから生だときぶみがあって食べにくい。
「あく」とは一種の毒のようなもので、火を通さなければ食べられない。
つまり、野菜は火を使うことのできる人間にだけ食べられて、その他の
食べるだけで野菜を育てない動物には野菜が食べられないように「あく」を出しているそうだ。
人間と一番敵対的なのが森の精霊、木霊だそうだ。
森の木は人間に育ててもらっているという自覚がないらしい。
それなのに、人間は森に入って木を切り倒す。
野生の木にとって人間は敵でしかないようだ。しかも時々火事を起こして
山を丸焼けにする。
実は、花の精霊のように背丈の低い草木は大火事になって山の木が
ヤケ尽くすと太陽が直接あたって嬉しいようだ。
丸焼けになった山に風にのって種子がとんできて太陽がふりそそぐなか、広々とした大地で花を咲かせる。
でもしばらくしたら木が伸びてきて日光を奪われ、花は枯れてしまう。
だから花は人間の味方だそうだ。
山の植物にとって、人間は害を与えるものである一方、時々山に入ってくるごちそうなんだそうだ。
だから、一人で人間が山に入ってくると、道を迷わせ、グルグルと歩かせて、谷底に落としたり、
森の中で衰弱しさせるんだそうだ。そうして、死体が腐って肥料になると、
森の植物にとって大変なごちそうになるそうだ。人間の油はほんとうに貴重で
なかなか手に入らない大のごちそうなんだそうだ。
でも、最近は人が迷って死んでも、捜索隊がやってきて死体をもっていってしまうので、
つまらないらしい。
木霊も悪気はなくて、ただごちそうがほしいだけなんだって。
山で迷ったら、木霊が混乱させて歩き回らせて消耗させるので、
動かず、携帯電話などで助けをもとめ、じっとして体力温存しておいたほうがいいらしい。
慶ちゃんがチョコレートをもらったときなどに喜んで、チョコを上下にビタン!ビタン!と叩きつけるようにして
遊ぶ仕草は、森の中ではがれた木の皮の平たいやつを上下にたたきつけてビタンビタン遊ぶ習慣が
今でも残っているからだそうだ。落ち葉や木の皮は草にとってごちそうなので、よろこんで
ビタンビタンやっていたらしい。
ちなみに慶ちゃんはお花の精霊である。
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なにかエントリーの内容を読んでいて『大祓の詞』にある「彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌持ちて打ち掃ふ事の如く遺る罪は在らじと」とあるあの一説を思い起こしました。
木は私達人間にとって意外に要注意な生き物だったんですね。
古代の祝詞を書いた方々はそのことを知っていたのかも。