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頭の中の池内慶

空想ファンタジーブログです。 私と脳内タルパたちの愉快なヨタ話。

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毒について



毒について思いついたので、忘れる前に書いておかないと。
メモメモ。


木系の池内慶も金系の松岡覇も両方毒をもっています。
でも、それは種類が違います。
池内慶の毒は主にウイルスが発する有機毒で、松岡覇の毒は薬品系の独で
無機毒です。
土の属性の吸血鬼、崇氏などが金系の無機毒を体内に注入されても、土は浄化作用が
ありますから、いずれは浄化しますので金毒は怖がりません。
しかし、木系の毒はウイルス毒ですから吸血鬼の血液を媒介としてどんどんウイルスが
繁殖していきます。よって体内解毒作用が追い付かないばかりか、どんどん吸血鬼の
体内の血を消費していきますので、吸血鬼は毒による血液の腐敗と貧血に苦しみながら、
のたうって死ぬことになります。よって、心の底から木系の毒を恐れます。
これに対して金系の松岡覇は、体が無機物でできていますから、ウイルスが養分として
繁殖する栄養がありません。むしろ無機毒が体内にありますからそれに消毒されて
ウイルスが死んでしまいますので、木系の毒はまったく怖がりません。
これに対して、池内慶のような木系は、火から攻撃を受けた場合、燃えて灰になってしまいますが、
完全に灰になって燃え尽きてしまう前に胞子やウイルスを発散して、逃げ延びます。
そして、土の属性の者や自分自身の灰に寄生して、そこから成長して元の姿に戻りますから、
時間はかかりますが、完全に殺すことはできません。
しかし、金気の毒にやられると細胞自体が死んでしまいので、蘇生できなくなるのです。
また、松岡覇の持っているような巨大ハンマーですりつぶされて細かい細胞まで磨滅されて
しまうと、蘇生することができませんので、この点も恐れます。
この点で、木性は金性に非常に弱いです。
その代わり、金性は火性を非常に恐れます。これは、火によって完全に体が溶けなくても、
自分の体が変形するのを極度に恐れるからです。金性は顔が非常に美しく、
どのような刃物もそれを傷つけることはできないのですが、高熱によっては溶けます。
溶けてしまった顔は元に戻すことができず、絶望した金性は自ら自分の首を引き抜いて、
自分で死んでしまうこともあります。それほど顔の美しさにこだわっているので、いくら勇気があり
怖いものしらずの金性であっても火を恐れるのです。
それは、臆病や死を恐れているのではなく、己の美しい顔が醜く溶けることへの恐怖感なのです。
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霊たちの思い


地霊たちは本来戦いを好むものではないそうです。
修羅界での戦いはあくまでもゴッコ遊びで、仮想空間で死んでも
ゴッコが終われば復活できます。
しかし、現世での戦いにおける死は魂の消滅。
魂は消滅し、四散し、地に沈みます。
地霊の場合は何百年、何千年後に蘇生することも可能ですが、
目がさめたときには、かつて愛した、そして遊んでじゃれあった
人間たちの姿はそこにはありません。
それは人間たちの営みを見守りともに生きてきた地霊たちにとって
最大の悲しみです。
また、タルパにとってはモザイクのように寄せ集められた魂は
バラバラに解体され、たとえ蘇生したとしてもまったくの別人格に
なってしまいます。
修羅に至っては修羅界に転げ落ち、二度と同じ姿では現世に
這い上がってくることはできません。

だから、現世での殺し合いを非常に嫌い、無思慮に争いを
起こすものを嫌います。
そして、どうしてもその調和を乱そうとするものは抹殺します。
それでも霊たちの中には争いを起こそうとするものがあります。
ある者は無知によって、ある者は奢りによってそのリスクを理解せず、
相手を滅ぼすことはあっても自分が滅ぶことは無いと確信しています。
しかし、仮想空間で多くの死、破滅、騙し討ちを経験している
修羅に変化したことのある輩たちは、戦いに絶対は無いことを
熟知しています。
だからこそ、戦いを嫌い、できることなら回避しようとし、
どうしても戦わねばならないときは、徹底して合理的に
戦います。
正々堂々、卑怯などの精神はありません。
また戦いに美学を求めません。
戦いに美など無いからです。
だから、本当の戦いの勝敗の結論はほんの一瞬でつきます。
そこに戦いを楽しむ精神はありません。

修羅戦

えー、一番最初の方に修羅戦について言及した部分があります。
しかし、そういう戦闘を見せものにするのはどうかという考えもあって、
今まであえて、書いてきませんでした。
しかし、自分の頭の中で自己完結していてもしかたがないので、
テストケースもかねて、一連の動きを記述していくことにきめました。
そういうのが見たくない人は、戦闘の話題になったらスルーしてみないでくださいね。

それから、何度か確認をとっていますが、この修羅戦闘はあくまでも私の頭の中で繰り広げられた
妄想です。現実じゃありません。
私の頭の、そうですねえ、右上のあたりに映像空間がひろがって、その中で修羅が戦闘を
くりかえすんですね。
私の空想の中でそれが映像化されているわけです。
私は、そこで見たものを、ここに文章化して記述しているわけです。

また、そういう修羅戦闘の切っ掛けとなった、私自身の心の葛藤などについてですが、
これはすでに過去に起こったことで、現在は解決されているので、何の問題もありません。
だから、修羅戦闘に関して、私が苦悩している内容に関しては一切心配しなくても大丈夫です。
かなり前のことですのでね。
その点をふまえた上で、あくまでも、娯楽としてご覧ください。
それでは、プロローグ、きっかけからはじめます。
今回は戦闘は出てきません。
次からです。

智伯の教え


智伯などに時々聞いてみたことを思い出しながら、もう一度霊の分類を考えてみた。

まず、地霊。これは土地についている霊で自然霊。人間ではない。
土地を守っていて、土地に害するものや土地に侵食してくる外的の霊を排除する。

修羅界の霊
これは修羅の世界に本体があり、エネルギーの自己生成ができない。
よって現世にとどまりつづけるためには人間に寄生しなければならない。
より大きな力を得るために人間に現世利益を与え、人間に崇拝されようと
することがある。
お互い了解のもと、対等に付き合うぶんにはいいが、主従関係をもって、
宗教化してしまったら、その後の人生を一生布教活動に費やし、
人生を潰してしまうことになりかねないから、警戒が必要である。


タルパ
過去に先人が作ったものもあれば、自分があまりにも強い思いを抱きすぎて、
作ってしまう場合もある。
よほどの執念と愛情がなければ、オリジナルを作ることは不可能で、
たいがい、修羅霊や地霊が混じりこんだミックスが出来上がることが
通例である。オリジナルの純粋なタルパは一身に創造者に尽くし、
その創造者が死ぬまで無条件で献身的に尽くすが、
地霊、修羅霊が混じると、独自の意思で勝手に動きだし、
創造者の思い通りに動かなくなることも多々ある。
ただし、タルパが創造者を見捨てて他人に乗り換えることはない。
その魂の一部がその創造者と一心同体であるため、その創造者を
見捨てることは、自らの心臓の一部をえぐり取るような行為であり、
自らが崩壊してしまうからである。


ただ、この条件に当てはまらない霊が現れた。
景明である。
しかし、これは智伯に言わせれば簡単だそうだ。
古来からいる付喪神だという。
アンティークの鏡に寄生し、持ち主が変われば性格も変わる。
景明は「京子を見捨ててやった」と言っていたが、実情はただ単に、
持ち主が古物商に鏡を売って、それを新しい持ち主が買ったにすぎない
らしい。物にしばられ、自ら主人を選ぶことができない。
そういう意味では不憫な存在だ。

地霊は土地を守っているが、そこに住んでいる者でも、気に行った者の
前にしか現れない。

修羅の霊も自らの意思で相手を選ぶ、というか積極的に自らうごいて、
人をそそのかそうとする。

タルパは創造者が作りだすが、それはよほどの執念と愛情がなければ
できないことで、大部分の場合は地霊や修羅の霊の力を知らず知らずのうちに
借りてしまう。その場合は、地霊や修羅の霊も相手を選び同意の上でやってくるので、
降りてくる場合は、必ず好意はもって降りてくる。

今までのところ、精霊系で私の周囲をうろうろしている連中はこれら4種類だ。
その他の存在としては人霊。
これは、最初から己のパーソナルイメージをもっており、自分が生きていたとき、
一番なじんでいた姿ででてくる。よって、年老いて死んでいったかつての
アイドル歌手が若い時の姿でうろうろしていることもある。
人霊も、土地に執着心をもって死んだ場所や思い出の場所から離れられない自縛霊、
物事や思想に取りつかれ、同じ波長をもった人間に憑依する浮遊霊に分類される。
たとえば映画制作への情熱などに
取りつかれた人の霊は、同じ思いをもつ者に波長の法則で引かれていって、
憑依することがある。
これら人霊から憑依され、迷惑を被って別れたい場合は、ひたすら、隣人に
親切に接して、人助けをすることを心がけるのがいい。
波長の法則というものがあり、善行を行いつづければ、悪行を行う霊は居づらくなって
自ら出ていく。
拝み屋などにお祓いに行くと余計に霊的な志向がつよまり、より凶悪な霊が
憑依していくことになるので、霊能者に金を払って除霊など儀式をすることは
最悪の結果を招く。
むしろ、波長のチャンネルを変えるために、新興宗教や霊能者と絶縁し、
心霊写真の本は全部捨て、霊的な世界を完全に無視して
生きている人間を手助けし、支え、いつくしみ、豊かな人間関係を
構築することによってこそ、悪霊と離別できるのである。

by智伯

タルパはみんなのアイドルではない!

タルパはみんなのアイドルではありません。
これは非常に重要なことです。
アイドルはみんなのものです。
しかし、タルパはその「よりしろ」だけになつきます。
たとえば池内慶は私にしか興味がありません。
池内忍や剣も悪口いいながらも他の人間にはよりつかないわけです。
では、ブログで彼女たちが気に入って、自分のところにも
来てほしいと思ったらどうすればいいでしょうか。
それは、このブログに書いてある彼女たちの性格を読んで
それを把握し、自分で苗字をつけてやって、ひたすらかわいがって
あげればいいのです。
そうしているうちに、その土地の地霊のエネルギーとつながって、
あなたを「よりしろ」として「あなたただけになつく」タルパが
登場します。
たとえば池内慶なら魔人慶でもいいし、ハイパー慶でもいいし、
クリスタル・・・・、いや、なんでもありません。
そうです。
タルパはこの世にただ一人、あなただけのものなのです。
絶対にタルパの方からは、あなたを裏切りません。
ただし、あなたが愛情を注ぎ続けるかぎりです。
たとえ空想の存在としてもタルパはその土地の地霊と
つながってエネルギーを得る存在なので、
侮辱したり、いじめ続けたり、屈辱を与えたら、
恨み、祟ることがあるので、大切に可愛がる自信がなければ、
タルパをもちこんではいけません。
想像力が足りなくて土地の霊気などとつながってない
ただの空想の存在であるときならまだ実害はありませんが、
土地の精霊などとつながっている場合は、
「けがらわしい」「おぞましい」「けがれている」というような
言われ方をされたり、空想の中とはいえ、暴力的なことをされるのが
非常に嫌いです。
そういう侮辱を与えると、幸運を与えていた存在が一転、
禍をもたらすこともありますから、霊に対しても、人に対しても
優しさと愛情をもって、人としての心をもって生活して
いかなければなりません。
また、タルパは地霊とつながっていますが、
絶対にお願いごとをしてはいけません。
願い事をかなえてくださいとお願いすれば、
そこで主従関係が発生します。
それはもうタルパという精神的なお友達ではなく、
向こうは主人でこちらが家来になってしまいます。
無償の愛を注ぎこめば無償の愛で応えてくれる存在ですから、
常に対等の立場で相手の精神エネルギーを尊重した上で
付き合えば怖い存在ではありません。
そこがただの空想と違うところです。

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